子育てが自分の子供の頃の答え合わせのようで辛いって話。

 

どうも

 

 

風呂上がりには

 

「っっくぁ〜〜!!水道水うまぁぁ〜〜!!!」

 

と言ってガブ飲みしている

シャインマスカットはおいしーねでございます。

 

今日も水道水でお腹がいっぱいよ

 

ごきげんよう

 

 

シャインマスカットが旬の時期ですね!

つまり私の季節です!!(←?)

 

どうぞよろしく!!

 

 

さて

 

本来なら前回の続きで、

「子供時代に獲得したもの(失ったものとも言う)」

について書いていくべきなのでしょうが、

 

今回は私の一人息子がもっと小さかったとき

 

自分の母の行いについて

答え合わせをしているようで辛かったよ

って話をかこうと思います。

 

 

私は約10ヵ月、

ほぼ妊娠期間をまるごと苦しみ抜いて

息子が生まれました。

 

 

(知りたい人は妊娠悪阻(にんしんおそ)で検索してね)

 

 

最後の生理が始まった日(は・じ・ま・った・日!)

からおよそ3週間後、

妊娠検査薬が使えるようになるよりも先に

 

つわりが始まりました。

 

最初の2週間はたまに吐く程度でしたが

 

その後は1日に10回以上吐き

(胃液どころか胆汁とか吐いてる)

 

あっという間に喉が潰れ

声が出なくなり

 

何も食べられず

水も飲めず

 

吐くものもないのに

凄まじい吐き気で

内臓全部ひっくり返って出てきそうな勢いで

息を吸うこともできず

 

飢えで死ぬより先に窒息死しそう

(飢餓だけでなく極度の脱水状態で、充分な血液量がないにも関わらず、顔中に溢血点(いっけつてん)だらけ。これは相当なことですよ)

 

息を吸って吐くだけで臭すぎて気持ち悪すぎて

地獄の苦しみ

いっそ殺して…

という状態が続き、人生最大の体調不良…

 

臨月になっても吐き、

 

お腹は出ているけどその他(太もも以外)は骨と皮状態で結婚指輪もブカブカになってスポーン!

と飛んでいく。

 

三徹(3日徹夜)の果てに出産し、そのままさらに二徹して、それから1日当たりの合計が三十分〜一時間半の睡眠時間で最初の1か月を過ごし、

(探せばどっかに証拠も残っているはず。分単位で記録した育児メモには私が寝ている時間などない。1か月検診の時お医者さんに見せたら敬意を表してくれた。そして母乳推奨医院で、絶対に粉ミルクは勧めない医院なんだけど、これではお母さんが死んでしまうと言って焼け石に水ではあるけど粉ミルクを足すことを勧めてくれた。ちなみに息子も信じられないほど寝なかった。24時間中21時間起きてた。そして火がついたようにずぅーーっと泣いていた)

 

一時間半〜三時間の睡眠(一回当たりじゃないよ、1日の合計だよ)で3ヵ月頃まで過ごし、

その後も三時間前後の睡眠時間で1歳10ヵ月頃まで過ごしました。

 

(その後も睡眠時間は少しずつ増えたけど、その程度。今でも5時間は中々確保できない。)

 

死にそう。って何回も思った。

 

 

ま、それはさておき

 

 

そうして私のもとに来てくれた可愛い我が子。

 

毎日ボロボロになりながら、

そろそろ人間としての尊厳維持できなくなりそう…

って思いながら、

 

体調・様子をつぶさに観察し

 

様々な危険から常に守り

 

健康に、明るい未来になる様に

祈るような気持ちで

 

必死にお世話をしていました。

 

 

そして離乳食の時期がやってきます。

 

 

 

ちゃんと食べれたかな?

 

朝のご飯は食べた量が少ないから次のご飯は

しっかり食べれるように、子どもが好きそうなメニューにしよう

 

栄養は偏っていないかな?

 

塩分は少なく、味はうすく。でも美味しくなるように…

 

また全然食べなかった!栄養足りなくならないように気をつけないと

 

そろそろ水分取らせないと

 

脱水になっていないかな?

 

 

そんなことを考えながら一生懸命お世話しました。

 

そして息子の年齢が

私の子供の頃の記憶が始まる年齢に追いついて来た頃です

 

(私はしっかり記憶があるのは3才からですが、

 1才の頃からちょこちょこ記憶があります)

 

 

一生懸命お世話するほど、子どもを大事に思うほど

 

私は傷付きました。

 

 

 

こんな小さな子どもを

 

家に一人ぼっちで放置して

ご飯も与えていなかっただなんて……!!

 

信じられないことです。

 

いま私の目の前にいる

 

目を離してはいけない時期のよちよち歩く子ども

 

母親がいなくてはこわくてこわくてたまらず、

見失えば泣き出してしまう幼い子ども

 

成長するために栄養がとても大事な

ついこの間まで赤ちゃんだった子ども

 

 

私だってそんな小さくて頼りない幼い子どもだったはずです

 

 

”私の母は

  どうしてそんなことが私にできたのか!?”

 

 

自分がご飯を与えなければ簡単に健康を害してしまうし

ヘタしたら簡単に死んでしまいます。

 

 

私の息子は全っっ然!離乳食もご飯も食べない子だったので、

1日に5回やってくる食事の時間の度に

私は心配し、どうしたらいいのか一生懸命考えました。

 

たくさん心配しました。

 

そして思い知らされるのです。

 

私の母親が、私にどれだけ酷いことをしていたのかを。

 

 

「おなかがすいた、なにかたべたい。」

と言って母にものすごく怒られたあの日々

 

朝起きたらもういなくて

キッチンの味の素を舐めながら

(失くなると怒られちゃうから、少しだけ)

おもちゃもなくひとりで過ごし

夜中にひとりで眠りについた日々

 

たまに早い時間に帰ってきては、

「あんたがそんなんだから負けたんだ!!」

と言ってめちゃくちゃに怒られたあの日々…

(負けたっていうのはパチンコのことです)

 

私が息子に対して思うことと、

あまりに違いすぎて

自分にあったことなのに

ありえないすぎて

信じられない気持ちになります。

 

改めて、ものすごいショックを受けました。

 

 

それを息子を育てている中で日々

再発見してしまい。

 

あ!こんなこともあったな、ありえないな…

 

あぁ、私だったらそんなこと息子に言うなんて考えられない、本当に酷いな…

 

ああ、私って本当に愛されてなかったんだな…

 

っと、ひとつひとつの愛情や手間について

如何に母が酷い仕打ちをしてきたのか

答え合わせをしているような

そんな気持ちで日々を送りました。

 

 

分かってたことのはずなのに、

 

新たな

“母親として感じる自分の気持ち”が、

 

元々あった

“子どもとして感じていた自分の気持ち” と

 

ない混ぜになってしまい、

 

息子を可愛がるたび、

笑顔の裏では

辛くて悲しくて

仕方がありませんでした…。

 

 

 

っていう。(←回想が急に終わるww)

 

 

いやまだ答え合わせは続いていくんだけどね?

うちのコまだ小学1年生やから…。

 

 

大人になってから

こんな形で苦しむことになるん!?

ってシリーズ

 

もう何度目やねん!?

いらんわ!!

 

ってなってるんですけど、

 

本当あの時の一時的な苦しみだと思ってたら

その後、大人になってから何回も

改めて違う形で苦しむってあるある…

 

まぁ今回はメンタル的に苦しんだだけだから

全然大したことないんですけど。

(←物理的に苦しめられる時あるからその時は流石に参る)

 

 

子どもの頃の経験の細かいところは違っても

大人になって答え合わせの時が来て苦しむって

 

辛い経験をした方なら結構ありそうだね…。

って勝手に思う。

 

大丈夫だよ。

頑張って生きてきたあなたは誰がなんと言おうと

素晴らしい。

 

胸を張っていいからね!

 

 

このブログを始めた当初に思ってた以上に

私の苦しみ供養ブログになってて(🙏チーン)

自分でもあれぇ?ってなってるんですけど

 

こんな人もいるんだな…ってことで

勇気を持ったり

慰めになってくれる人がいたら

うれしいな。

 

そのうちもうちょっと役に立てることが

書けるようになりたい。

 

 

ただ今はしばらく供養させてね。

 

 

今日も読んでくれてサンキュー!!!

 

 

グッナイ☆*・☆彡