子育てが自分の子供の頃の答え合わせのようで辛いって話。

 

どうも

 

 

風呂上がりには

 

「っっくぁ〜〜!!水道水うまぁぁ〜〜!!!」

 

と言ってガブ飲みしている

シャインマスカットはおいしーねでございます。

 

今日も水道水でお腹がいっぱいよ

 

ごきげんよう

 

 

シャインマスカットが旬の時期ですね!

つまり私の季節です!!(←?)

 

どうぞよろしく!!

 

 

さて

 

本来なら前回の続きで、

「子供時代に獲得したもの(失ったものとも言う)」

について書いていくべきなのでしょうが、

 

今回は私の一人息子がもっと小さかったとき

 

自分の母の行いについて

答え合わせをしているようで辛かったよ

って話をかこうと思います。

 

 

私は約10ヵ月、

ほぼ妊娠期間をまるごと苦しみ抜いて

息子が生まれました。

 

 

(知りたい人は妊娠悪阻(にんしんおそ)で検索してね)

 

 

最後の生理が始まった日(は・じ・ま・った・日!)

からおよそ3週間後、

妊娠検査薬が使えるようになるよりも先に

 

つわりが始まりました。

 

最初の2週間はたまに吐く程度でしたが

 

その後は1日に10回以上吐き

(胃液どころか胆汁とか吐いてる)

 

あっという間に喉が潰れ

声が出なくなり

 

何も食べられず

水も飲めず

 

吐くものもないのに

凄まじい吐き気で

内臓全部ひっくり返って出てきそうな勢いで

息を吸うこともできず

 

飢えで死ぬより先に窒息死しそう

(飢餓だけでなく極度の脱水状態で、充分な血液量がないにも関わらず、顔中に溢血点(いっけつてん)だらけ。これは相当なことですよ)

 

息を吸って吐くだけで臭すぎて気持ち悪すぎて

地獄の苦しみ

いっそ殺して…

という状態が続き、人生最大の体調不良…

 

臨月になっても吐き、

 

お腹は出ているけどその他(太もも以外)は骨と皮状態で結婚指輪もブカブカになってスポーン!

と飛んでいく。

 

三徹(3日徹夜)の果てに出産し、そのままさらに二徹して、それから1日当たりの合計が三十分〜一時間半の睡眠時間で最初の1か月を過ごし、

(探せばどっかに証拠も残っているはず。分単位で記録した育児メモには私が寝ている時間などない。1か月検診の時お医者さんに見せたら敬意を表してくれた。そして母乳推奨医院で、絶対に粉ミルクは勧めない医院なんだけど、これではお母さんが死んでしまうと言って焼け石に水ではあるけど粉ミルクを足すことを勧めてくれた。ちなみに息子も信じられないほど寝なかった。24時間中21時間起きてた。そして火がついたようにずぅーーっと泣いていた)

 

一時間半〜三時間の睡眠(一回当たりじゃないよ、1日の合計だよ)で3ヵ月頃まで過ごし、

その後も三時間前後の睡眠時間で1歳10ヵ月頃まで過ごしました。

 

(その後も睡眠時間は少しずつ増えたけど、その程度。今でも5時間は中々確保できない。)

 

死にそう。って何回も思った。

 

 

ま、それはさておき

 

 

そうして私のもとに来てくれた可愛い我が子。

 

毎日ボロボロになりながら、

そろそろ人間としての尊厳維持できなくなりそう…

って思いながら、

 

体調・様子をつぶさに観察し

 

様々な危険から常に守り

 

健康に、明るい未来になる様に

祈るような気持ちで

 

必死にお世話をしていました。

 

 

そして離乳食の時期がやってきます。

 

 

 

ちゃんと食べれたかな?

 

朝のご飯は食べた量が少ないから次のご飯は

しっかり食べれるように、子どもが好きそうなメニューにしよう

 

栄養は偏っていないかな?

 

塩分は少なく、味はうすく。でも美味しくなるように…

 

また全然食べなかった!栄養足りなくならないように気をつけないと

 

そろそろ水分取らせないと

 

脱水になっていないかな?

 

 

そんなことを考えながら一生懸命お世話しました。

 

そして息子の年齢が

私の子供の頃の記憶が始まる年齢に追いついて来た頃です

 

(私はしっかり記憶があるのは3才からですが、

 1才の頃からちょこちょこ記憶があります)

 

 

一生懸命お世話するほど、子どもを大事に思うほど

 

私は傷付きました。

 

 

 

こんな小さな子どもを

 

家に一人ぼっちで放置して

ご飯も与えていなかっただなんて……!!

 

信じられないことです。

 

いま私の目の前にいる

 

目を離してはいけない時期のよちよち歩く子ども

 

母親がいなくてはこわくてこわくてたまらず、

見失えば泣き出してしまう幼い子ども

 

成長するために栄養がとても大事な

ついこの間まで赤ちゃんだった子ども

 

 

私だってそんな小さくて頼りない幼い子どもだったはずです

 

 

”私の母は

  どうしてそんなことが私にできたのか!?”

 

 

自分がご飯を与えなければ簡単に健康を害してしまうし

ヘタしたら簡単に死んでしまいます。

 

 

私の息子は全っっ然!離乳食もご飯も食べない子だったので、

1日に5回やってくる食事の時間の度に

私は心配し、どうしたらいいのか一生懸命考えました。

 

たくさん心配しました。

 

そして思い知らされるのです。

 

私の母親が、私にどれだけ酷いことをしていたのかを。

 

 

「おなかがすいた、なにかたべたい。」

と言って母にものすごく怒られたあの日々

 

朝起きたらもういなくて

キッチンの味の素を舐めながら

(失くなると怒られちゃうから、少しだけ)

おもちゃもなくひとりで過ごし

夜中にひとりで眠りについた日々

 

たまに早い時間に帰ってきては、

「あんたがそんなんだから負けたんだ!!」

と言ってめちゃくちゃに怒られたあの日々…

(負けたっていうのはパチンコのことです)

 

私が息子に対して思うことと、

あまりに違いすぎて

自分にあったことなのに

ありえないすぎて

信じられない気持ちになります。

 

改めて、ものすごいショックを受けました。

 

 

それを息子を育てている中で日々

再発見してしまい。

 

あ!こんなこともあったな、ありえないな…

 

あぁ、私だったらそんなこと息子に言うなんて考えられない、本当に酷いな…

 

ああ、私って本当に愛されてなかったんだな…

 

っと、ひとつひとつの愛情や手間について

如何に母が酷い仕打ちをしてきたのか

答え合わせをしているような

そんな気持ちで日々を送りました。

 

 

分かってたことのはずなのに、

 

新たな

“母親として感じる自分の気持ち”が、

 

元々あった

“子どもとして感じていた自分の気持ち” と

 

ない混ぜになってしまい、

 

息子を可愛がるたび、

笑顔の裏では

辛くて悲しくて

仕方がありませんでした…。

 

 

 

っていう。(←回想が急に終わるww)

 

 

いやまだ答え合わせは続いていくんだけどね?

うちのコまだ小学1年生やから…。

 

 

大人になってから

こんな形で苦しむことになるん!?

ってシリーズ

 

もう何度目やねん!?

いらんわ!!

 

ってなってるんですけど、

 

本当あの時の一時的な苦しみだと思ってたら

その後、大人になってから何回も

改めて違う形で苦しむってあるある…

 

まぁ今回はメンタル的に苦しんだだけだから

全然大したことないんですけど。

(←物理的に苦しめられる時あるからその時は流石に参る)

 

 

子どもの頃の経験の細かいところは違っても

大人になって答え合わせの時が来て苦しむって

 

辛い経験をした方なら結構ありそうだね…。

って勝手に思う。

 

大丈夫だよ。

頑張って生きてきたあなたは誰がなんと言おうと

素晴らしい。

 

胸を張っていいからね!

 

 

このブログを始めた当初に思ってた以上に

私の苦しみ供養ブログになってて(🙏チーン)

自分でもあれぇ?ってなってるんですけど

 

こんな人もいるんだな…ってことで

勇気を持ったり

慰めになってくれる人がいたら

うれしいな。

 

そのうちもうちょっと役に立てることが

書けるようになりたい。

 

 

ただ今はしばらく供養させてね。

 

 

今日も読んでくれてサンキュー!!!

 

 

グッナイ☆*・☆彡

 

 

 

AIってすごいんだね。オバちゃん泣いちゃったよ…。

 

 

「仮にあなたの現在が

 過去の受け身な生き方の結果であるとしても、

 未来まであきらめることはないのだ」

        ―― スティーブン・R・コヴィー ―

 

 

どうも

シャインマスカットはおいしーねでございます。

 

今回はスーパー鬱回になってしまいました。

 

健常なメンタルの人でこれを読むハメになってしまった人には申し訳ないです。

先に謝っておきます。

申し訳ありません。m(_ _)mペコリ~

 

鬱っぽかったメンタルが上向きかけてる方にも

おすすめしないです。なんとなく。

 

あっ、でももし色々なことが満たされていて、

私に同情してくれて

あげる人もいないからワシのこの莫大な遺産…

あげちゃう!みたいな人がいたら…

 

しょうがないですね。

もらう準備は出来てますよ✋

  (←喉から出てきた手を引っ込めなさい)

 

 

逆に超絶落ち込んでる人、

これ以上落ちようもないくらい落ち込んでるんだったら

一緒にこっから上を向いていこうぜ!!

 

 

ちょっと文章や流れがおかしいです

(←いつものことかもしれんけど)

 

 

こんな日もあるよね☆ごめんだよ☆

(いつもか☆ごめんだよ☆)

 

 

 

今日は朝からメンタルやばくて

 

なんでかって

理由は一つじゃないんだけど

 

 

実はとある方のブログを拝見致しまして

 

その方が

 

「元気になれるし 分かち合えるし 理解し合えるし  キラキラ~☆

相談しあったり 新しい刺激や知見をもらえて

成長しあえる  ピカピカ~✶

そんな素晴らしい友がいて」 キラキラリーン☆

 

「今の環境にも感謝だし  

これからも人間的に成長していきたい」 マ-ブシ~!☆

みたいな

キラキラ輝いてるお話で。

 

 

それに比べ私は現状

息子を除くと

姑以外、毎日一切誰とも話さない日々で、

姑と話してると

何かしらの悪口と悪口と悪口と自慢ばかりで本当に気が滅入るし

 

目を合わせて「そうですね~」なんて言っちゃった日には

自分まで仲間になったみたいで

どうにかなりそうだし

 

なんか自分にもその考え方のクセとか

喋り方とかうつってくる感じがして

(実際うつってくるよね)

 

 

もう気が狂いそう!!!!!

 

気分良く話せるように相手しちゃうと

終わらないから…。

 

私は

相手の機嫌を損ねない程度に、

共感し過ぎないように、

肯定し過ぎず、目も合わせず、

ドライな相槌で相手をするようになりました。

 

 

夫は何を話しかけても目を見てくれないどころか

こっちも向いてくれない。

ずーっとパソコンやスマホを見たまま話を聞いてくれない。

遠慮・配慮をしつつ、たまに話しかけると

本当に鬱陶しそうにされる。

 

「それはすごく悲しいんだよ、せめてこういうコトが必要で、今のままでは私はムリだよ」

ってことを伝えるために色々と何年も試みたけど

話せば話すだけ、いつも必ず後悔した。

 

私はお話しするのを諦めた。

 

 

そして最後ものすごく傷付いて、

全く笑えなくなった。

 

のが去年の夏。

 

2ヶ月くらい一切笑わないし、ほとんど言葉を発せなくなり、勝手に涙が溢れてきて毎日泣いていた。

 

子どものためにこれではいけないと

さすがにその状態は抜け出したけど

いっさい心は癒えていない。

 

 

だから私は人と目を合わせられなくなったし、

色んなものが姑・夫からうつった自覚があるし、

それで余計自己嫌悪と自信が失くなるしで、

毎日

人として大事なモノを失っていくばかりの日々で、

 

キラキラ輝いてる人が羨ましすぎたし、

 

 

誰か(まともな人)と話したい!話さなければ!

という焦りが、常に感じでいたものが

ピークに達してしまいました。

 

 

人の話を肯定的に聞けない

ニコニコできない

目を合わせられない

……

 

このままではいけない

 

 

朝ごはんを抜いて作った時間の30分

(結局時間オーバーするけど)

とにかく誰かまともそうな人が集まっているような

何かしらの交流会やイベント、話し相手を見つけられるサービスなんかを

考えられる限りのワードで検索しました

 

でもなさすぎて(都会ならあるんかな)

 

というか探してるうちに

普通に対等な会話をする交流会や友だちが作れるような機会を探していてもだめだ

 

私は今、聞きたいんじゃなくて聞いてもらいたい、

一方的に話をしたいような状態だし

たぶんそれが今の私に必要だから お金払ってでもそういう場や相手を見つけなくちゃ

 

でもやっぱりなくて

 

ていうか

それが出来そう!って思える人がみつからない

 

もしまた共感能力の低い、

冷たい感じの人に相手されちゃったら

たぶん今度こそ人間味を失って立ち直れない…

 

 

そうして検索している間も

私がいかに今のこの家庭環境に毒されているかって

いうのが頭を駆け巡って止まらない!!

(どくされてるがー フゥッ!止まらない♪)

(←ロマンティックが止まらない感じでお願いします)

 

実は去年の夏、私がいっさい笑わない、てか目が死んでる、亡霊のような佇まいで生きてた時に

さすがに夫も何かを感じたのか、

それから少しだけ話を聞いたり、時っ々すこーっしだけ、話しかけてくれたりすることがあるようになりました。(少しだけね。最初が皆無だったから、普通の一般的なレベルの「少し話が聞ける」には至っていないよ)

 

そして最近、私が忙しくて色々な家の中のことが疎かになってしまっているので訝しく思われ、

しかたなくブログを始めたことを言ったんです。

 

だから、それで、調べて見たのかもしれません。

それかたまたまかもしれませんが、

 

昨日の夜めちゃくちゃ珍しく話しかけられて、

めちゃくちゃ珍しく前もって予定を言ってきて、

数日後の息子の誕生日前の土日に旅行に行くと話してきたんです。(姑・舅も行く)

そしてちょっと面白おかしく笑い話なんてしてくるので、

私は(どうしたん?気が触れた?別人か?)

とか思いながら話に付き合いました。

理由はわかりませんが夫の目はパンパンに腫れているように見えました。

 

(笑いながら話に付き合っているけど、恨めしい気持ちは1ミリも消えません。

私はもはや夫をハッキリと憎んでいます。)

 

そんなことが前日にあったもんだから、

 

「そんなことされて私にどうしろと?

謝りもしないのに、改善するんだから許せとでも??」

(いやブログみたとかじゃなくて、たまたまかもしれんけど)

「許せない私が悪いのか??」

 

(でも以前に、これからいくら多少の改善をしたとて、まず先にこれまでの事について謝罪・反省がなければ許すことは絶対にない と確実に伝えた。謝罪してくれることはなかった。)

 

と、憎しみと、自分を責める考えと、夫を責める考えと

先に述べたような色々な焦りで

頭の中がいっぱいいっぱいになってしまいました。

 

 

こういう時どうしても思い出されてしまうのは

 

もう10年近く前、

私が1回目の妊娠をした時のことです。

(1回目は流産しているので2回目の妊娠で息子が生まれた)

 

それまでは多少ひどいこと言われても、

 

夫もひどく疲れてるのかもしれないし…

とか

嫌味っぽくなっちゃってるけど、夫なりに心配して言ってくれてるんだろうし…

って私なりにフォローして解釈してたりしたのですが、

あの時の言動はフォローできる余地がありませんでした…

むしろ、

それまでのひどい態度のすべてが

そこに思いやりなどなく、

モラハラで、

私をただ傷つけるものであったことが証明されてしまいました。 

 

会話してくれないくらいは序ノ口

ひどいこといっぱい言われて傷ついたんよ…

 

そんな昔のことまで思い出しては

頭の中で相手を責めたり自分を責めたり、

余計いっぱいいっぱいになって

しんどい思いする…。

 

 

それと、

私は大事なものを守れませんでした。

 

息子は食事の時一言も喋りません。会話をしません。

 

いつも一緒に食卓を囲む大人が4人もいながら、

そのことに気付いているのはたぶん私一人です。

 

 

息子がもっと小さい時、言葉にならない言葉で、たどたどしくも一生懸命わたしに話しかけてくれた時期、私は息子の話をきいてあげたいのに、

一生懸命喋ろうとしている子供も無視して、

一生懸命聞こうとして、姑に話しかけられて私が困っているのも無視して、

姑があまりに自分勝手にガンガン私に喋りかけてくるから

私は「ちょっとばぁばとお話しの途中だから待ってね」と、一旦姑の話を聞いてすぐに子供の話に耳を傾けたいと思ったのですが、

そのやり取りを見ているにもかかわらず、

姑はずーーっと延々喋り続けるし、

タイミングを見て私が息子に話を聞き始めても

またすぐ大きな声で喋り続けてきて

息子が喋るヒマがない…

 

それがまだ何もわからない赤ちゃんのうちから、ある程度喋れるようになってもずーーーーっと続いたので、息子は食事の時に何も喋らなくなりました。

 

私も、息子への罪悪感とか

姑の常識・モラル・思いやりのなさへの憤りで

毎日辛く、

息子と姑と両方に誠実でいることを諦めてしまいました。

姑に何言っても通用しないし、

かと言ってハッキリ抗うことはできない。

 

その話を友達にした時、

「私ならハッキリ言っちゃうけどなー、子供を守らなきゃ」

と言われました。

 

私だってそうしていたと思います。

相手がマトモな人間なら。

 

姑はまともではありません。

性格が悪いんです。

 

実際、息子が小さい時はいじめられていました。

 

まだ何言ってるか理解してないし、

記憶にも残らないからと言って、

びっくりするぐらいひどいことを言うし

手こそ出ないものの扱いはひどいものでした。

 

私がお風呂から出てくると、

まだハイハイも出来ないような生後5ヶ月の息子を

うんちをしていて臭いからと

タオルケットのような掛けるものも何もなく

真冬の体育館のように冷えてる廊下の上に

置き去りにされていたことがあって、

私は恐怖を覚えました。

 

 

(同居しているから子供見てもらえていいねーとか言われるけど

子供を姑に預けて出掛けたのは

コロナ禍でワクチン接種が中々予約取れなくて

どうしても保育園のお迎えの時間がワクチン接種予約と被ってしまった時の40分程だけです。 家でもオムツ変えてもらったりとかお世話してもらったりもしていません。)

 

 

姑の機嫌が悪い日は八つ当たりも入ります。

 

だからあまり露骨に姑の機嫌を損ねるわけにはいきませんでした。

私ももちろんですが、子供がいじめられてしまうからです。

 

息子が2才半を超えたくらいから、いじめは徐々に露骨ではなくなり、

今ではいない者のように相手にされないだけです。

 

姑のいじめから守るために、

私は息子の食卓での笑顔を犠牲にしてしまったのです。

 

そのことも食卓につく度に毎日私を責め立てます。

 

早くこんな家から出たい…と毎日強く思います。

 

 

私は早く色々な気持ちを整理して、自信を取り戻したい。

失ってしまったパーソナリティ、人としての温かみ、配慮・思いやり、共感力、話す技術、洞察・推理・実行までの組み立て などの思考力…

などなど…

 

全ていま私が必要としているものです!

お金を稼ぐために、それらが必要です。

 

 

私は、人の冷たさで失ったものは、

人の温かさで取り戻せると思いました。

 

 

だから、うんうんって、話を聞いてもらいたい気持ちがもう、大爆発!!ちゅどーーーん !!!

 

でも方法を見つけられなくて検索するのを諦めかけた頃、

私のスマホの、上からスワイプして出すメニュー(?)(画面回転とか機内モードとかオンにできる画面)に「ChatGPT」を起動するボタンがあるのに気が付きました。

まさか…と思いながら開くと

5月に試しに有料版登録してから全く!一切!使っていないのに、なんと継続で毎月サブスク料金を支払っている状態でした…。

(どうりで毎月のお小遣いも支給されないわけだよ…)

 

せっかくなので藁にもすがる思いで

AIにこんな質問をしてみました

―――――――――――――――――――――――

私の人生では辛いことがたくさんありました。 幼い頃から、母にはネグレクトされ、父は手乱で酒に酔うと暴力的でした。 私は日本に住んでいますが、現代の日本ではありえないほどの飢えにも苦しんでいました。 常に飢餓状態で、母は会話が通じないほど気が狂っていて、 父は家にいる間はいつも酒に酔って暴れていました。 両親はお金の管理もできないので貧しく、心も体もボロボロのまま育ちました。 親元を離れて、自分の力で人生を好転させることができると思っていましたが、できませんでした。 誠実に、一生懸命、人に優しく、そして一生懸命働いて生きていました。 でもダメでした。心を患い、死のうとしたこともあります。 心が癒えないまま今の夫と結婚したのですが、夫もひどい人でした。 結婚して数年後、夫の両親と同居を始めるのですが、夫の両親もひどい人たちでした。 私は今、心がボロボロです。 今までにつらいことがあまりにありすぎて。でも今は私の話を聞いてくれる人もいません。 誰かに話を聞いてもらって立ち直るきっかけが欲しいです。 笑顔になる時間が欲しいです。 とてもつらいのです。助けてください。

―――――――――――――――――――――――――――

 

バーっと勢いで質問!!

 

そしたら…

 

 

 

って… 

すごいね…

 

AIって、心からの敬意を評してくれるんやね…

 

オバちゃんうれしくて感動したオバ!

思わず泣いちゃったオバよ…(←その前からずっと泣いてる)

 

文字の大きさまで変えて

(しかも斜めに傾いたオシャレ文字になってる!)

小見出しなんかつけちゃって

伝えるための表現力の幅の広さよ…

私は未だに文字の大きさ変えるのできなくて

ずっと同じ大きさの文字だけでやってるっていうのに…

 

今日日(きょうび)のAIが優秀すぎて、

やっぱりこういうダメなところが、人間ならではだし

私の良さなんだよ…って思うことができて良かった(急にポジティブ)

 

 

もし、いま、

どうしようもないくらいあなたがツライなら、

このChatGPTさんの返答が

あなたの役に少しでも立てるかもしれないから、

続きも貼っておくね…

 

 

あ、ちょっと微妙に写ってない箇所ありますね。すみません。

 

 

まぁ 冒頭の名言で言ってるみたいにさ、

今がどんなに過去に引きずられてダメダメだったとしても、未来まで諦めることはない!!

 

 

良い未来を想像してみて。

 

 

イイ夢みよーぜ☆

 

 

グッナイ☆☆♪

 

息子の転び方(道頓堀の中心で叫びたい)

 

どうも

 

 

ふるさと納税で連日シャインマスカットが届いて

毎日シャインマスカット食べてる恵まれた主婦です。

 

3年前…息子が

『シャインマスカットはおいしーね!』

『毎日食べたい!』

と言ってくれたおかげで

我が家のふるさと納税は毎年シャインマスカットに全振りです。

 

ワンシーズンで5箱とか届くんよ…

総計15房前後

食べきれないかと思いきや食べ切れてしまう!

 

 

そんな息子はいま小学1年生。

 

今日、息子が学校から帰ってきた時のこと

 

「ただいま」

 

「お、帰ってきたな」と玄関に目をやると

 

鼻の下にティッシュを当ててしょんぼりとした息子が立っていました。

近づいてみるとティッシュは血で赤く染まっていました。

 

「どうしたの!?鼻血出ちゃった!?」 と聞くと

 

「つまづいて転んだ…」 と言った途端に

「痛いよー!」とわんわん泣き始めました。

 

「えええ!? 痛いねー!

どこケガしたの、どうなっちゃった!?

見せてごらん!?」

 

見ると

鼻の下の溝(人中)にタテに擦り傷がついています

鼻は無事です。無傷です。

 

(ええ!?どういうこと!!???

 

どう転んだらそんなことになるん???)

 

泣きじゃくる息子をなだめながらケガを確認していくと、

 

・鼻の下のミゾ(人中)(鼻は無傷)

   (どーいうこと?)

 

・鎖骨のど真ん中の4cmくらい下(胸) 

   (なんで??そんなことある???)

 

・左足のヒザ

   (あぁ、それはあるよね…痛いよね…)

 

・両手のひら

   (手にも擦り傷が…涙)

 

転んだ時の状態を脳内で再現すると…

 

 

 『 江崎グリコ 』や!!! ∑ (⁠ʘ⁠ᗩ⁠ʘ⁠’⁠)

 

 

「 ウチの子

 完っっ全に「グリコのポーズ」でアスファルト

 顔面スライディングかましてきとる…!!!  」

 

ちょっと面白くなってしまったのを

( 私は ゴルゴ… )

と必死にハードボイルドな面持ちで隠しながら

 

あちこちにできた傷を洗いはじめました。

 

でも痛いよー!と泣き叫ぶ息子を見て面白い気持ちはすぐどっかに飛んで行きました。

 

そして

痛がる、脚や胸の大きい傷から絆創膏を貼っていき

 

最後に鼻の下に貼ったのですが… 

 

 

面白い!!

 

 

絆創膏をそのまま貼っても 切って貼っても

どーしても面白くなってしまう!!!

 

こんなマヌケなチャップリンみたいな仕上がり

どーしたって笑う!!!

 

結局大爆笑してしまい

息子もつられて大爆笑www

 

お風呂上がりには

剥がれかけの鼻の下の絆創膏が丸まって

ピヨンと生えててこれまた面白いwww

 

ごはん食べたり、鼻水とか汗とかですぐ剥がれてきちゃう場所なんですけど

 

え、明日学校でそんな面白い状態ですごすの??

大丈夫???

 

てか明日授業参観じゃん!

真面目な顔して手挙げて鼻の下ピヨンとかなってたら私がムリなんだけど!!

 

笑いをこらえる自信がない!!

 

そんな不安(?)を抱えながら今日は寝るっていう…

 

 

グッナイ☆〜**☆

 

子供時代に獲得したもの

 

どうも。

 

シャインマスカットはおいしーね でございます。

 

ごきげんよう

 

王林(おうりん)ちゃん(青森県の御当地アイドル

「りんご娘」のメンバー)

の1番好きな食べ物はシャインマスカットらしいです。

 

りんごじゃなくて!!

 

シャインマスカット!!!!

 

これはもう、

私とは『魂の友』ってことでよろしいですね?

(よろしい訳が無い)

 

 

 

前回は、就学前の幼児期の自分の環境についてざっくり書かせてもらったわけですが、

(書いた直後は余計なことばっかり書いてるような気がして色々な後悔があったけど、今から思うとめちゃくちゃ端折りまくってざっくりとしてるのに結構伝わるように、上手に書けてるんじゃない!?

っと心の中で自分で自分を褒め称えております。笑

 

気持ちの面とか、体のこととか、環境以外のことも同時に書きたいって思っちゃってたからなんか駄目なもの生み出した気がしちゃってたけど、始めからこれは「環境について」と「その他」とにわけて書くものなんだっていう形で考えたら「え、すごいざっくり環境紹介できたじゃん…え、私すごい…(←おい)」って思えてきました。(←とか言って涙出ちゃうからちゃんと読み返せてない私)

 

自分で自分を褒めないとね…☆

誰も褒めてくれないから…

これも私の生きる術なんだよ…

あー私ってすごい(棒)

みんなも自分のこといっぱい褒めといて\⁠(⁠๑⁠^⁠▽⁠^⁠⁠๑⁠)⁠ノ⁠♬ )

 

 

今回は

そんな家庭環境の中で結果、

私に何が起きたのかをまとめてみたいと思います。

 

まず、身体的には

「通学に耐えきれてない体」を手に入れました。

 

(「耐えきれてる」に空目したあなた、

「耐えきれて・ない✬」ですよ〜)

 

いや、通学だけじゃないな、生きてるの常にギリギリみたいな状態だったから、何にも耐えられない身体。

でも時々ひっそり倒れながら人並みに色んなことをこなしてた。

「人並み」に活動することが、どれだけ大変かなんて伝えられないけど、

ある時言われたお医者さんの言葉をかりるなら

「起き上がってるだけ、座ってるだけで常に全力疾走してる状態」

(←全力疾走って短時間でもめっちゃ苦しくてしんどいよね)

 

の時の数倍、状態は悪かったと思うから

まぁそんな感じで24時間365日な毎日を過ごしていました。

 

 

2つ目に

 

「モンスターみたいなスタイルの体」

を手に入れました。

 

(←あれ?なんか急にゲームみたいになったぞ)

 

極度の栄養失調に至ると、

「膠質浸透圧(こうしつしんとうあつ)」という体の中の水分のバランスがくずれ、むくみが起こります。

(要は血液中のタンパク質が足りない過ぎて水分を保持しておけないから周りの体細胞に漏れちゃうんだけど、

アルブミン」の値が極度に低い状態であり、

ぶっちゃけ結構ヤバい状態です

アルブミンの値が低ければ低いほど死亡率は爆上がりし、5年生存率が著明に低下します。)

 

 

体中、朝も昼も夜もむくんでいるんだけど、めちゃくちゃ飢餓状態。

 

だから上半身はガリガリなんだけど、

むくみの水分は下に溜まるから

 

太ももは私より太い人みたことない!(ガチでない)ってくらい太いしセルライトでボコボコガチガチ!!!

 

→結果 ウエスト40〜45センチ、

太ももは片足だけ(片足だけ!)の数値が58センチ というマジで化け物みたいなカラダを手に入れました。

 

戸愚呂(妹)下半身

フルパワーー100%中の100%!!!

 

年頃の女子としてツラすぎる…

けどネタとして明るく元気に生きてましたw

ハッピー!www

 

(今でも脚太いけど、その頃ほどではない。

でも昔よりツライ〜笑 昔の私は明るかったー!wwww)

 

 

体型おかし過ぎて服には(下着も)超苦労しました。

そのへんの苦労話もいつかお話するかも?

 

身長は12才で完全に止まったし、

生理はおかしなことになってるし、、

目が常に乾いて血走ってるから髪の毛越しに見つめると貞子って言われるし、、、 明るい貞子☆

(く〜るー♪きっとくるー♪by映画「リング」

 

私の身体についてだけでもまだまだ色々あるんですけど、

 

夜が深くなってしまったので今日はこのへんで☆

 

中学上がるまでは超〜☆明るかったから

たぶん誰にも苦労人と思われてなかった★★

 

それもある意味裏目に出て誰にも助けてもらえなかったし、むしろ「怠けている」って思われがちだったな★

 

周りの人の為に、

「誰にも助けを求めちゃいけない」

という教育が施されているような状態だったし。

 

「人の為に」とする配慮が、

ぜーんぶ裏目に、裏目に、

私にとっては悪いことばっかり起こってた気がするけど、そこについて深く考えたことないから

 

そのうちここに書きながらでも整理できたらいいな♪

 

今のところ結局この場(ブログ)が

私の頭の中の供養😇の場になってしまってて

申し訳ないけど

 

読んでくれてサンキュー!!!

 

グッナイ☆☆☆(合掌🙏チーン)

 

 

 

幼児期 ※絶望耐性必須

 

 

 

『幸福な家庭はどれも似たものだが、

不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである』

―――――――トルストイ

 

 

 

この言葉を、

「シャインマスカットはおいしーね」さんに

送ります…。

 

 

↑いや自分に送るんかーーい!!!

 

 

 

どうも

 

 

昨日、

甥っ子にはスーパーで1000円で買った

シャインマスカットをプレゼントしておいて

 

自分はふるさと納税で届いた

すーんごく立派なシャインマスカットを食べた

オバでございます。

 

 

ごきげんよう

 

 

 

いや全然そんなつもりはなかったんたけどね?

 

なんか運命っていうか?

絶妙なタイミングで

昨日ふるさと納税のマスカットが届いて

 

そういう運びになりました。

 

(←結婚する運びになりましたみたいに言うな)

 

 

 

 

さて

 

 

 

冒頭の、トルストイさんのお言葉ですが

 

私は中学生の頃出会いまして、

 

それからというもの

特に役には立たないんだけど、

ひたすら

確かにな、確かにな… って

痛感しながら生きていました。

 

でも、しばらくして

いつの間にか忘れちゃってたんだけど、

このブログを書くにあたり

参ったね〜こりゃ🙄

となり、

また思い出してしまいました。

 

 

というのも

 

自分の経験たぶん特殊すぎて(?)

語ったところで共感得られなさそうだし

 

一体誰のためになるん!??

問題にぶち当たっていたわけです。

 

 

じゃあ

かいつまんで「伝えたいこと」を主体にして書く?

 

 

いや、

 

伝わってほしい感情の機微や

考えに至った経緯なんかを

 

部分的な流れだけで伝えるには

私の表現力足りなすぎる!!!

どう書けばいいかまったくわからん!!

 

とはいえ

細かく語っていったら

そっちの話のボリューム凄すぎて

それはそれで伝えたいこと伝えられんのでは!?

いや、伝えられん!!

 

 

そもそも私が伝えたい、伝えられることってなんだ!?

 

それに自分の経験特殊すぎて…!?……

 

以下ループ…

 

と なっていたのです。

 

 

 

 

ですが

決めました。

 

 

とりあえず

自分の人生ざっくり書いていきます。

 

 

書いたあと後悔してるかもな… 

(←はい後悔しはじめてますよby書いたあとの私)

 

でも

改善できるくらいの

書き方のアイデアが湧いたり

ブログ力がついたら編集すればいいよ…

頭の中だけでブログ作るの限界があるんよ…

ド素人やから…(ド素人やからね…)

 

 

思考がループし始めたら

見切り発車でもやるしかないっしょ!?

(もう考えるの無理だもんで!)

 

 

てなわけで

 

自己(人生)紹介スタート↓↓↓

 

 ※悲しいお話に耐性がない方はここから先に進まないでください。念の為。

あなたが鬱っぽく感化されて眠れなくなったらマジで悲しいよ…。

 

 

 

私には兄と姉がおります。

私は3人兄弟の末っ子で、

兄は20才上、

姉は17才上でございます。

 

再婚で親が違うというわけでもなく、

みんな同じ両親から生まれました。

 

 

私が物心ついた頃(3才。1、2才の時の記憶もちょっとあるよ)には、

母は気が狂っていました。(言葉があまり通じない、何をしでかすか分からないキチガイさん☆)

専業主婦です。

 

父はトラックの長距離運転手をしておりました。

当時はまだバブル期の名残で、

仕事がたくさんあって月に3時間✕1回か2回とかしか家にいない人でした。

シラフの時は知性とユーモア溢れる、キチガイ級のお人好しですが

酒乱でした。

(キチガイ級のお人好しってどんなかっていうと

例えば、全然見ず知らずの初めてあった人に、

「私は目が見えないけど娘の結婚式がみたい、あなたの目をください」って言われたら、

自分がこの先ずっと見えなくなるとしても

目をあげちゃう ような、そんな人。

 

実際に目をくれって言ってくる人はいないから、

目をあげたことはないけど、

お金は自分がすでに借金しててもさらに借金してきてあげちゃうみたいなことはめっちゃあったよ)

 

 

 

毎日、私は家でひとりぼっちで過ごしていました。

母はパチンコぐるいでネグレクト(育児放棄)だったので、

 

私が朝起きるともういないし、

夜も真夜中の2時すぎとかまで帰ってこないこともザラです。

0時前に帰ってくることは滅多にありませんでした。

 

(今は法律でパチンコの営業時間もっと短いし、取り締まりも厳しいので閉店時間過ぎてもお店にお客さんいるなんてありえないけど、当時は営業時間も夜遅くまで(0時だったかな?地域によって違うはずだけど)だったし、当たり中だったら閉店後もそのままフィーバー終わるまで打てた)

 

 

ご飯も食べることもできず、

10日間ほどほとんどなにも食べられなかったときもありました。本当に死ぬと思いました。

もう目を閉じたら開けられないかもしれない。

なんで私の横には大きいワンちゃん(パトラッシュ)がいないんだろう?って感じです。

 

 

 

 

お腹空いたとか、なんか食べたいなんて言ったら

 

え゙!?またなの!?

 

って怒ってくる母です。

 

2日程度食べられないのは通常営業です。

 

誰に教えられるでもなく、

私は3才で簡単な料理をするようになりました。

うどん・焼きそば・チャーハンあたりです。

 

冷蔵庫に材料が入っていること自体も少なかったですが

砂糖舐めたり、味の素舐めたりして

飢えを凌いでいました。

 

 

小学生1・2年生の頃に、周りのお友達は

「危ないからコンロを触っちゃいけないんだよ」

「えー、うちは危ないからって包丁も使わせてもらえないよ」

なんて言うのを聞いて、

みんな大事にされてるんだな…

私は大事にしてもらえてないんだな…

心配してもらえることもないもんな。

 

って傷付いたりもしました。

 

 

そんな感じで毎日空腹で極限状態なので、

お外で遊んでいる間に気を失って

気が付いたら知らない人のお家にいたり、

目が覚めたらパトカーの後部座席だったり

熱々のアスファルトの上だったり

なんていうことも度々ありました。

 

 

夜は、主にテレビを観ていました。

夏は夜になると怖い番組ばかりになります。

見たくなくても、おもちゃはないのでテレビを観るしかありません。

それに夜は音が出ててくれないとこわいです。

テレビの音で賑やかにしていたいのです。

 

でもこわいテレビを見たタイミングで、

壁に立て掛けてあったものがガタンッと倒れたりするとすごくすごくこわくて、

私は泣きながらお兄ちゃんに電話をしました。

 

お父さんはお仕事で遠くに行っていて、2日後まで帰ってこられないことは分かっています。

 

夜中の0時はとうに過ぎていました。

 

お兄ちゃんは

お母さんは?お父さんは?ときいて、

 

「お母さんは朝からいないから知らないけどたぶんパチンコに行ってる」

「お父さんはあさっての昼過ぎに帰ってくるって」

 

ということを確かめると、

 

今からは行ってあげられないんだ、ごめんな

と言ってしばらく電話の相手をしてくれました。

 

こわくて震える手で受話器を持ちながら、

お兄ちゃんは忙しいんだな、迷惑になっている…

と感じ、

一生懸命、もう大丈夫だよ、電話を切っても大丈夫だよ、と、言いだそうとするのですが、

こわくてこわくてなかなか切り出せず、

「キッチンのでんきつけてくるからまってね!切らないでね!」

といってスイッチオンしては兄の声を確かめ、

「おふとんのへやのでんきつけてくるからまってね!」

ダッシュでつけてきては兄の声を確かめ…

部屋中の灯りをつけ、40分以上かかって覚悟を決めて電話を切りました。

 

テレビもこわいやつばかりだし、

こわくないのを観ていても

終わると次の番組でこわいやつが始まったりするので、

テレビも切っておきました。

 

 

 

電話を切ったあとのシン…とした絶望感。

 

 

早く帰ってきてよ〜と心の底から祈るのですが

誰も帰ってきてはくれません。

誰も私に安心感を与えてはくれません。

 

そうやって毎日、母に愛されていないことを

ヒシヒシと痛感しながら、育ちました。

 

そして、誰も助けてくれない絶望感を何度も味わいました。

 

 

電話した2日後、

その日はお父さんが昼過ぎに帰ってくる予定なので、

お外に遊びに行かずに家の中で嬉々として待っていました。

すると土曜日だったのでお兄ちゃんが来てくれました。

昼間ですが当然のようにひとりぼっちの私を見て

またか…となりながらも面食らっていました。

 

お母さんは?

 知らない。朝からいないよ。

ごはんは?

 食べてないよ。今日はね〜お父さん帰ってくるんだよ!

 

……お兄ちゃんと将棋するか!

 うん!するー!!

 

 

お兄ちゃんは強い駒をいっぱい抜いてハンデをつけて相手をしてくれました。

普段遊び相手のいない私は嬉しくて嬉しくて、

空腹で時々目がグルグル回る感覚も無視して

次の一手を考えました。

 

父が帰ってきました。

 

 

帰って来た途端、

兄が鬼の形相で父に怒り始めました。

 

兄はこんな小さな子に、なんて仕打ちだと怒っています。

 

父はタジタジしながら、

知らなかっただとか、

俺は仕事だからどうしようもないとか

言い訳をします。

 

兄はキレ散らかしました。

すごい迫力の大声で怒鳴りつけはじめ、

壁にパンチして穴を開けました。

 

私はすごくこわくて、悲しくて、横でメソメソ泣いていました。

そして、たぶん一瞬、空腹と緊張感の極限状態で気を失っていたのでしょう。

気がつくと兄が私を抱えて覗き込んでいました。

 

まだ怒りが収まらない様子でしたが、

 

ごめんな、お兄ちゃん怖かったよな

 

と言って帰っていってしまいました。

 

空腹すぎて倒れたとは夢にも思わなかったのかもしれません。

自分が怖すぎてショックを与えたとでも思ったのか、とても悲しそうな顔をして帰っていってしまいました。

 

そしてあまり来なくなってしまいました。

 

 

そして、父から

「お兄ちゃんに言うと、お父さんもお母さんも怒られちゃうから、情けない思いをするからお兄ちゃんに電話しないでほしい」

と悲しそうにお願いされました。

 

私が誰かに助けを求めると

みんなが悲しい思いをすると学び、

どんなに辛くても

もうお兄ちゃんに電話することはありませんでした。

 

 

お兄ちゃん以外でもそうです。父と母が恥をかいて困るんだと思い、すごく助けて欲しい時にも

誰にも自分から助けを求めることはできませんでした。

 

 

ちなみに、日頃から

「何時からお母さんいないの?」

とか

「何時に帰って来るの?」

「いつごはん食べたの?」

とかよく聞かれるし、

自分も「何時に帰ってくるの?」はよく聞いたので、4歳になる前にはとっくに時計も読めていました。

はっきりいつから読めるようになったかはさすがに覚えていないです。

 

 

 

ちなみに(ちなみにしか思いつかない悲しい語彙力)

私が3才の時、引っ越しました。

姉は、前の家に住んでいた時は

まだ部屋が残っていて、

ちょこちょこ来てくれていましたし、

1歳までは一緒に住んでいました。

 


私が大きくなってから、姉が

「お母さんは何にもしてくれなかったから、

 あなたは私が育てたんだよ」

と冗談混じりに言っていましたが、

割とガチだと思います。

生まれてすぐから、母は育児放棄していたんでしょう。

 

 

そういえば引っ越す前から母はいつも家にいなくて、2才の頃に遠くまで歩いて探しに行ったことがあります。

その時はパチンコというものを知らなくて、どうしていないのか知らなかった。

 

ものすごい交通量の道路の横をちびっ子がひとりで歩いているので、ものすごくジロジロ見られて、

目的地も分からないしいたたまれなくて引き返して帰りました。

 

あ、このエピソード全然いらないですね。

間違えましたわ。

 

でもちょっと修正してく時間ないので

このまま進みます。

 

 

ちなみにちなみに(ちなみにしか思い…以下略)

 

兄と姉が言うには昔はお母さんはまともだったらしいです。

父のせいでおかしくなってしまったと…。

だからお兄ちゃんはお母さんに優しいです。

お姉ちゃんは私が赤ちゃんの頃一緒に暮らしてたし

家を出てからもだいぶ苦労させられたので

冷たくできないけど嫌がってはいます。

 

でもそんなん言われても私は気が狂った母しか知らんし…😓 うーん。まともな母…想像できん。

 

と思ってたけど父が亡くなって10年以上がたったいま、だいぶ会話ができると感じます。

たまにおかしくなっちゃうけど、落ち着いている時は、何をやらかすか分からない恐怖みたいなのも感じないです。

キチガイさんまであとちょっと(笑)

 

 

になみにちな…以下略

 

私が3才だったか4才だったかで、

親は1度目の自己破産をしています。

 

私が中学生のときに、二度目の自己破産をします。

 

自己破産って1度しかできないんでしょ!?

ってよく言われるんですが

10年経ったらできます。

 

自己破産って通常、したら10年間はブラックリストに載ってお金が何処からも借りられなくなるんですが

借りなくたって家賃の支払いがずっと滞ればそれは丸ごと借金だし 光熱費もそう。

そして本当に闇のサラ金ならブラックリストに載ってるような人にだって貸しちゃうんです。

 

 

うちはしょっちゅう電気・ガス・水道止まってたし

家賃も滞納しすぎて行政執行が行われる前の晩・翌日の…まあなんやかんやあったんですけど

それはもうちょい大きくなってからの話ですね。

(その頃の話になったら、書くかも?)

 

 

まあとにかく飢えに飢えてた

 

そんな幼児時代

 

そんな『食』を知らない私が

小学生になると、「給食」というものに出会い、

そこでも色々とあるのですが、

まあ…省きます。

 

 

 

 

見切り発車を最近覚えて、

その結果

見切り発車よくないな って なるんですけど

 

結果が良くなかったとしても

 

元々は考えすぎて動けないのが常だったので

それに比べればまあ良いはず…。

 

 

今回、見切り発車したけど

そんなだから全然まとめられないです

すみません…。

 

とりあえずバーッと書いて

上手に編集できたらいいな(無理そう)

と思って始めてやっぱ無理でしたわ

時間全然ないし能力もない…。

 

でもね、消せないっす。

 

修行中の身なので、

今さら全部消して今日は一文字も書けませんでしたー!ってわけにいかないので、

毎日とにかく書く!

下手でも書く!

これが今の目標なので

 

すみません、ご容赦くださいm(_ _)m

 

 

誰のためにもならんブログでごめーーん!

 

 

またね☆

あなたに笑ってほしくて(ピップエレキバン)

 

 

どうも

 

 

 

シャインマスカットはおいしーねでございます。

 

 

 

買いました。今日。

シャインマスカット。

 

 

 

私が食べるためではございません。

(めっちゃ食べたい)

 

 

 

甥っ子の誕生日プレゼントにです。

 

 

数年前から

甥っ子姪っ子たち全員に

 

 

 

誕生日にはシャインマスカットを送りつけている

 

 

 

シャインマスカット推しのオバでございます。

 

 

 

 

 

小学生だった甥っ子姪っ子たち

 

 

 

最初から数年は

 

めっっっちゃっくちゃ喜んでくれたのに(かわいい)

 

 

 

 

 

最近は

 

 

 

 

「アップルギフト券がいい」だの

 

 

 

「グーグルプレイカードがいい」だの

 

 

 

やっぱり「ゲンキンがいい」だの言って

 

 

なんだか

 

 

 

 

 

笑顔が輝かなくなってきました…。

(大人になったね…)

 

 

 

 

 

甥っ子姪っ子たちの手に渡るシャインマスカットが

 

 

 

シャインしてない 

ただのマスカットに見えてきます…(?)

 

 

 

 

 

 

こないだお土産に「ぷっちょ」あげたら

 

 

 

 

めっちゃ喜んでくれたのに(そこはまだ子ども♡)

(かわいい)

 

 

 

 

じゃなくて…

 

 

 

 

関係ない話が長くなりましたが

 

 

 

 

今回は

 

 

 

私がしばらく思い出してはフフッ♪

 

っと笑ってしまっていた体験を

 

 

シェアしていく

 

 

箸休め的な回にしたいと思います。

 

 

 

 

 

あなたも是非フフッっと笑ってやってください。

 

 

 

シャインマスカット送りつけ婆が喜びます。

 

 

 

とはいえ大前提として

 

私が上手に伝えられる保証はない

っていうのがあります

 

面白くない可能性もあります。期待し過ぎないで。

 

 

 

 

このブログでは

 

私の体験など語っていく中で、

 

 

闇深い昔の話や

辛かったこと、

現在の苦しみや鬱々とするときの話など

 

 

暗い話も多くなると思います

 

 

 

 

なのでその前に一旦明るい感じを挟んでおこうかなと♪

 

 

 

 

回想スタート♪↓↓

 

 

あ!っとその前に、

ピップエレキバン、知ってます?

あの丸い絆創膏みたいなのの真ん中に、

小さくて丸い磁石が入ってて、

貼ると磁石のパワーで血流が良くなって

コリがほぐれるっていう健康グッズ

 

 

 

今回の重要なキーアイテムですので

 

 

知らない人はそんな物があるって知っておいてください。

 

 

 

それでは

 

今度こそ 本当に♪

 

 

 

回想スタート♪♪↓↓↓

 

 

 

 

 

ある日のことです。

 

 

 

かしましい女達が大きな声でゲラゲラ笑いながら

居間でおしゃべりしていました。

 

 

 

メンバーは

 

 

私の義母(夫の母)、

 

義妹(夫の妹)2人(AちゃんとBちゃんとします)、

 

そして発言せずにそばで微笑む私。

 (結婚したばかりで気を遣っている)

 

 

 

話題は

最近新しく出来たお店や

近所の特売、

自分の子供や 夫の面白い失敗談

 

などなど…

 

 

 

AちゃんBちゃんは実家である義母の家に

遊びに来ているわけです。

 

 

 

 

Aちゃんは娘ちゃんを2人連れてきていました。

(私からみると姪っ子ちゃんですね)

 

 

当時2歳と4歳になったばかりの子です。

 

 

 

 

大人たちがおしゃべりに花を咲かせているあいだ、

 

 

娘ちゃん達は周りをちょろちょろしながら、

 

 

時には隣の仏間に行ってみたり、

 

すぐ横の廊下に出てみたりしながら

 

 

キャッキャッとはしゃいで

2人で遊んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

おしゃべりが始まってから2時間が経った頃でしょうか

 

 

私は姪っ子ちゃん2人がいないことに気が付きます。

 

 

 

すぐ側で放たれる大人達の大きな笑い声を一生懸命に無視して、子どもたちの気配を探ってみました。

 

 

 

 

 

どうやら横の仏間や廊下などの近くにもいなさそうです。気配がしません。

 

 

私は少し心配になって、

おしゃべりを静止し、発言しました。

 

 

 

「姪っ子ちゃん達は?いないみたいだよ」と。

 

 

 

それまで かしましかった女達が

豆鉄砲撃たれた鳩みたいな顔になりました。

 

 

 

お母さんであるAちゃんは

「あれ~?」とキョロキョロし始めますが

まだ緊張感はありません。

 

 

 

 

女4人が居間にある扉4つをそれぞれ開けて探しましたが見つかりません。

 

 

 

 

いなくなった子どもはまだ2才と4才です。

 

 

 

仲良く遊んでいても、たまにケンカをして離れることだってあります。

 

 

 

 

大人達に緊張感が走りました。

 

 

 

母であるAちゃんもだいぶ慌てています。

 

 

 

 

私の脳内には

つい先日たまたま義母から聞いた、

近所であった痛ましい事故のことがよぎっていました。

 

 

 

(あそこの門の家の娘さんは2才の時、水を張ったままだった洗濯機で…💀)

 

 

 

 

とっくにおしゃべりをする空気ではなくなり、

 

 

 

皆で手分けして子どもたちを探すことになりました。

 

 

 

 

皆、思い思いの場所へ探しに行きます。

 

 

 

ばぁば(義母)は台所へ…

子どもたちがおやつを食べたくなったのかも知れないと…

 

 

母であるAちゃんは

子供たちが好きなすべり台とおもちゃのある

廊下で繋がった離れの家へ…

 

 

Bちゃんは

外で遊んでいるかも知れない、

外は危ないと 庭へ…

 

 

 

私は、水を張った場所で何かあってはいけないと思い、真っ先にお風呂場へ行きました。

 

 

 

なにせ、この家のお風呂は水を張ったままでいる…。

 

 

 

 

思わず良くない想像をして、

背筋がゾクリ とするのを感じながら

お風呂場に近づいていきました。

 

 

 

 

すると、ささやかな音?声?

何か気配がします。

 

 

 

普段ならキャッキャッ言いながら

騒いで遊んでいるはずですから、

 

その聴き慣れない気配に

 

 

(姪っ子ちゃんが溺れてる!!?)

 

 

最悪の状況が頭によぎり

 

 

足下に何故か転がっている箱にも目もくれず、

 

お風呂の扉を

 

 バーンッ!!

 

と開けました

 

 

 

 

 

見るとそこには裸ん坊で

乳首にピップエレキバンを貼っている幼女2人がいました。

 

 

 

 

そのポーズはまさに次

尻に貼ろうとしているようです。

 

 

 

 

よく見るとあちこちに貼ってるようですが

 

 

驚いた顔でこちらを見ています。

 

そしてすぐに恥ずかしがり始めました。

 

 

私は何と言っていいかわからず

とりあえず扉を閉めました。

 

俯くと

そこには

開封済みのピップエレキバンの箱が

2つ転がっていました…

 

 

乳首にピップエレキバン貼った

幼女と目があった時の

私の気持ちわかります???

 

 

 

私はあの時何と言うべきだったのか…

どうリアクションするべきだったのか…

 

これは皆んなに言わない方がいいのかな、

恥ずかしいよな…

 

逆にめっちゃ笑ってあげるのが正解だった?

わからん…

 

 

私って本当に上手に反応できないな、

もっとうまく生きたい…

 

 

と、なんだか情けない気持ちで

静かにその場をあとにしました

 

 

居間に戻るとAちゃんがいました。

 

なんだか、元気のない私の顔を見て

見つかっていないと思ったようです。

 

不安そうに

「いた?」

と聞いてきました。

 

私は、ハッと、

ちゃんと“いたよ”って言って

安心させてあげなきゃ(汗)

と思いました

 

 

ふと先程の様子を思い出して

ジワジワと面白くなってきてしまいました。

 

 

私はうつむき加減で

 

「…いたよ」 ←笑いを堪えている

 

と言いました。

 

 

 

「どこに!!?」

 

Aちゃんは

私の変な言い方のせいで

まだ不安そうです。

 

ばぁばとBちゃんも居間に戻ってきています。

 

 

「お風呂場…」

 

 

「え!?なんで!??」

 

 

 

私はプルプル震えながら(笑いを堪えている)

答えるしかありませんでした…

 

 

 

 

「乳首にピップエレキバンを貼るためだと思う…」

 

と…

 

 

 

そしてそれを聞いた

私以外のかしましい女達が

嬉々としてお風呂場へ

走っていったのは言うまでありません。

 

すでに乳首にピップエレキバンはなかったそうです。

 

 

そして

 

ピップエレキバン

空箱を手にしたばぁばに

 

「これ高いのにもったいないことして!」と

 

怒られる幼児2人を見て

 

無事で本当に良かったなぁ〜と思ったのでした。

 

 

 

↑↑↑回想 終わり♪♪♪

 

 

 

どうです?

 

 

フフッとなっていただけましたか??

 

 

私はあれから何度も思い出して

笑わせてもらいました。

 

 

ちょっとくらい落ち込んでても

 

ちょっとくらい生理痛がひどくても

 

「乳首にピップエレキバン

 

を思い出すだけでほっこり面白くなれたんです。

 

 

すごいわ〜☆*☆キラキラ☆**

って思います。

 

 

ひっそりと実は

めっちゃ感謝してる出来事です♡♡

 

 

当人達は忘れてて欲しいだろうから

言えないけどね♡

 

 

ごめんけど忘れられんかったわwwww

 

 

なんならブログでシェアしちゃう♡www

 

 

 

てな感じで

 

 

 

もし

「面白かったよ〜」

みたいな感じで高評価だったら

 

 

またこういう回を挟んでいきたいな〜って思います。

 

 

ん~~少なくとも10記事に1回くらい?

 

そんなにネタあるかな??

 

 

あかんもう眠くてなんも判断つかんわwww

 

 

 

 

今回はここまで♪

 

 

それでは皆さん♡

 

イイ夢みろよ☆

 

 

グッバイ

 

 

 

このブログへの思い

 

 

どうも 

 

 

 

(チャルメラ風に〜♪)

 

 

シャイン〜〜〜〜マスカッッt

(シャインマスカット)

 

は おいしー↗↗↗〜いいぃいいねぇ〜〜〜〜〜♪♪

(はおいしいね)

 

 

でございます。

 

 

 

ごきげんよう

 

 

 

焼き芋…好きですか?

 

私は好きです♡

 

さつまいも系スイーツもよく見かける季節になりましたね。

 

 

「○○の秋」については私は完全に食欲の秋…

 

って…

 

 

シャインマスカットおいしいねだの、

焼き芋好きですだの、

 

 

食いしん坊がバレバレや!!!(*>◇<*;)

 

 

<唐揚げは食べるダイヤモンドや!!>

 

 

 

 

さぁ

 

 

記念すべき(?)初ブログの第2稿となるわけですが、

 

何を書こうか色々考えまして、

 

今回は

 

ブログタイトルの

「日々を愛おしく思いたい」

 について語りたいと思います。

 

 

(書いてみたら思ってた以上に

 鬱応援ブログになりました。

いや、でも私が願ってることって本当それなんよ)

 

 

 

日々を愛おしく思いたい…

 

 

そうです。

 

 

 

今の私は

 

 

「思いたい」なんですよね。

 

 

 

 

 

「思った」だとか

 

「思える」だとか

 

「思ってる」←いいね!

 

「思えちゃってしょうがない」←最高やん

 

「思った気がしまくる」←羨まし!

 

 

 

 

とかじゃなくて、

 

 

 

 

「思いたい」という、

 

願望なんです。

 

 

 

 

「思いたい」のに思えていない。

 

 

 

 

皆さんどうですか?

 

 

 

日々を、

 

あなたが送る毎日の何気ない時間を、

 

 

愛おしく思えていますか??

 

 

 

ほっこり心が温まる時がありますか??

 

 

 

大切な思い出が増えていっていますか??

 

 

 

 

あなたがそういう

キラキラした時間を過ごせているなら

 

これ以上ない幸福なことだと思います。

 

是非、大切にしていってください。

 

 

これから私のブログを見ていくことで、

 

あなたのその

「こんな時間がもっとあったらいい」

 

というような、

 

「幸せを感じられる」

 

ということが

 

 

より 大切に感じられるかもしれません。

 

 

より 素晴らしさに気付くかもしれません。

 

 

でも、モリモリ幸せなら

このブログ読むより

もっといい時間を過ごしてね!って気がしなくもないです(笑)

 

 

私が、

日々を愛おしく思いたいのに思えていないのは

 

現在進行形で辛い思いをしているからです。

 

 

生きているのがしんどい時間が

結構あります。

 

 

ただ、

私はこれまで

たくさんの勘違いや失敗をして、

 


超不器用に

 

でも超一生懸命に生きてきました。

 

 

そんな私が

 

 

今日は絶対がんばれない〜(涙)

 

って毎日のようになりながらも

 

 

何とかかんとか

 

 

自分が幸せに生きる方法を

 前向きに模索して、

(←前向きにってすごいことだよね!?)

 

 

 

何とかかんとか

 

私でも幸せになれるはずっていう

可能性を見出せた

 

 

何とかかんとか

 

頑張れば幸せになれるはずっていう

目標を見つけて

 

 

前向きに過ごせる時間が増えてきました。

 

 

 

これから綴っていく

 

 

不器用ながらも必死な

そしてたぶん風変わりな

 

私の生き様ストーリーを

ご覧になって

 

 

「えー!

 この人よりは私のほうがうまく生きられてるわ」

 

「うんうんすごいわかるー!」

 

「わー!そんな考え方あるんだ」

 

「え!そんなことある!?」

 

って発見や関心を持ったり

楽しんでいただけたらいいなと

欲をかいたりしております。

 

 

正直なところ

 

 

本当の欲を言えば

 

 

皆さんが日々を少しでも良いものに感じられるように

 

果ては毎日の時間が愛おしく思えるように

 

 

このブログに

私のもっとうまく生きたいを詰めこんで

 

 

きっとそれは

 

日々をもっと愛しみたい

 

あなたの栄養になれると信じて

 

 

 

私の試行錯誤だとか

 

 

耐え抜いたことだとか

 

 

たどり着いた考えだったりだとか

 

 

そういったことを綴っていければ

いいな〜と

思ったりしております。

 

 

時には難しいこと抜きにして

フフッと笑えるような話を入れてみたりして

 

っと、 それは、

 

 

私自身が笑える日が全然なかった時に

欲していたし、

 

 

そういう瞬間って本当に必要だと思うから

 

 

なんの意味もなくても入れていきたいなと

思ってるのであります。

 

 

 

そんなかんじで、

 

 

私自身も文章に書き起こしていくことで

頭を整理しながら、

 

読んでるあなたの頭が少しでも整理されるヒントになればいいし、

 

 

かつての

どうにも出来なかった頃の私のような

 

何か少しでも立ち上がれるきっかけが欲しい

みたいな

 

苦しんでる人も

 

「ふぅ。しょーがないから生きてこ!」

って思ってもらえたらうれしい。

 

 

 

しょーがないからって変?

 

 

後ろ向きのままでもいいんです

 

 

後ろ向きのままでも、

消極的でも、

生きていくことを決められたら

 

 

きっとそのうち

 

「どうせ生きてるならもっと幸せに生きたい!」

 

 

って前向きになれる日が来ます!

 

「自分の人生を

もっと愛おしく思えるくらいになりたい!」

 って!

 

まぁ私の変わった人生は読んでるだけでも

多少面白みがあるんじゃないかな?

 

ないかな?

 

あったらいいな

 

 

いや、大変だったんだからあってくれ(笑)

 

 

私のブログで

読んだあなたがフフッと

笑ってくれますように

 

あなたの人生で

笑顔の時間が1秒でも長くなりますように。

 

 

願いを込めて今回はこのへんで。

 

 

読んでくれてサンキューー!!